雨粒は一滴も落ちていないのに、セレスティアル・ドームの強化ガラスは絶えず水音を立てていた。霧状冷却システムが吐き出す微細な水が、高空の気流で粒子化し、昼と夜の境目を曖昧にする薄い乳白色の雲をつくり出している。標高一一〇〇メートル──都市アーク最上層。その空調は呼吸だけで人を選別し、酸素濃度すら居住階級に合わせて調整される。選ばれた者だけが歩くことを許されたガラスの回廊で、神代玲人の遺体は不自然なほど静かに横たわっていた。
仰向けの屍の首はあり得ない角度で折れ曲がり、ほとんど無傷の背広に焦げ跡だけが散っている。むせかえるような樹脂の焼けた匂いが漂い、金属と皮膚が一体化したその顔面を見ただけで、観察者は視線をそらした。量子認識工学の鬼才──生前、誰もがそう呼んだ三十二歳の男。その偉才が、たった二二秒の闇とともに都市全体を道連れに墜落した。監視カメラは一斉リセット、ログは黒く塗り潰され、不可能とされた“空白”が記録に刻まれた。
アーク中枢演算核〈ガイア〉がブラックアウトしたのは、玲人の死亡推定時刻と同分同秒。二二秒間だけ薄い膜のように都市機能が剥がれ落ち、株価は垂直に滑り、金融AIが産みだした幻の富がみるみる崩壊した。高層区画のラウンジではシャンパンの泡が静かに止まり、旧市街の廃ビルでは酸欠警報が鳴り、難民キャンプの幼子が無音のまま酸素マスクを求めて泣いた。誰かが〈ガイア〉の喉元に指を突っ込み、都市の心臓をわずか二二秒間だけ握り潰した──それが正確な描写だった。
旧市街第三分署刑事・黒木譲がタバコを吹かしながら出勤してきたのは混乱が拡大して二時間後。四十歳を目前に、彼の声帯は砂粒を噛んだように枯れている。違法な紙巻きの煙が排気ファンに吸われ、薄い紫の渦が天井へ消えるころ、警察予算を切り詰めた末に導入された最新AI監視網は、暴動の熱量を赤いグラフに変換するだけで一歩も現場へ介入しようとしなかった。モニターを埋める赤外線フラクタルの端に、黒い“穴”が揺らぐ。ガイアの二二秒分が切り抜かれた痕跡──それを見た瞬間、黒木の胸奥で凍結していた古い鼓動が蘇る。
「あのAIは、まだ罪を犯すさ」
十年前、冤罪をかけられ、一度は無罪を勝ち取った少女が吐き捨てた言葉。翌日、彼女は独房で首を吊った。署名欄にはガイアの承認印。黒木は夜毎その赤いデジタルスタンプを夢に見る。上層から下された「ガイアは自殺と判定した」という報告書を聞くなり、彼はヘッドセットを投げ捨て、耳から命令を排除した。
高架軌道の陰は、雨の代わりに放水車の水が降る灰色の昼。暴徒と機動隊が投げ合う火炎瓶の間を縫い、黒木は路地裏の通信ハブをこじ開ける。小型データスライサーを滑り込ませ、網膜に浮かぶ暗号列を一つずつ剥ぎ取ると、二二秒の欠落の縁に同一の指紋が残っていた。高エネルギー量子チャンネルの残滓。──神代玲人個人コード。死んだはずの天才が、ガイアの核へ干渉し、何かを抜き去った痕がある。
「死人が盗みを働くか?」
つぶやきは風に攫われ、火の手が上がる旧市街の空へ消えた。だが胸に巣くった疑念は離れない。神代は本当に自殺なのか。もし彼が奪ったものが都市の自由意志そのものだとしたら──。
背後で爆竹の破裂が続き、遠くでドローンのローター音が重低音を奏でる。黒木は吸い殻を踏み消すと、焦げたタールの味を鼻腔に残したまま、まだ見ぬ共犯者の影を探すように、群衆のノイズへ身を溶かした。
天菱グループ本社、百階建ての鋼鉄宮殿。その最上階に設けられたオークパネルの会議室は、空気まで計算された静謐で満たされていた。壁一面の無影灯が雪のような白を放ち、重厚な防音扉が外界と切り離す。皇宗一郎──十二代目当主。白銀の髪を綺麗に撫で付け、背後には途方もなく巨大な化石海百合を陳列する。億年を超えて姿を留める絶滅種を「不滅の美」と言い切る彼の美学は、いっそ冷笑的だった。
対峙するのはアーク公安局特別捜査官・天音リリ。二十六歳。漆黒のボディスーツの上にグレーのロングコートを重ね、背筋は弦のように張る。人工皮膚の下に埋め込んだAIオラクル端末〈セラフ〉が、脳梁へ直接、最適行動シナリオを流し込むたび、彼女のまばたきはコンマ五秒だけ遅れる。人形じみた静止。皇は細長い指で空を切り、ホログラムを投影した。
「君の任務は二二秒の闇を解明し、奪われたニューロ・ゴールドを回収すること。そして犯人は──この女だ」
画面に映る横顔。黒髪を無造作に束ねた若い女性、水瀬雫。神代玲人の助手。広域指名手配第一級。リリの心拍は平均値から一つも外れない。セラフが瞬時に成功確率八一・二%を弾き出し、四十八時間以内の解決プランを提示。リリは皇に向かい、機械仕掛けの頷きを返す。
降下ポッドで旧市街へ降り立つと、肌を刺す油と鉄錆とアンモニアの匂い。コートの襟が知らず立つ。上層の滅菌された空気では肺が満たされず、逆にこの腐臭に血が目覚める。壁一面のグラフィティ“GAIA IS BLIND”が何層にも重ね塗りされ、ひび割れた歩道にはドローンの残骸が散乱。セラフが推奨する最短ルートは赤い危険度指数を跳ね上げ、再計算を求める警告音が耳を叩く。
角を曲がると、半壊した街灯の下で一人の男が煙草をくゆらせていた。ヴィンテージの革コート、擦り切れた警察バッジ。セラフが照合し、フローティングウィンドウに“黒木譲、状態:半休職”と浮かぶ。リリはヒールの先で水溜まりを弾き、距離を詰めて告げる。
「そこを退いて。あなたは時代遅れのノイズよ」
黒木は灰を落とし、濡れたアスファルトで踏み潰すと、唇の端だけ歪めた。「ノイズってのはときに信号より雄弁だ。お前さんのAIが捨てた不確定性を、俺は拾ってる」
その瞬間、セラフが察知しきれない冷風がリリの背骨をひやりとなでた。ドローンのローター音が頭上を裂き、追跡ユニットが暗い夜空を網のように塞ぐ。黒木が目を細めて問う。「雫を追ってるのか?」 リリは答えない。すれ違いざま、黒木のコートの内ポケットに紙片が忍ばされた。リリの姿が闇に溶けるころ、黒木は紙を開く。
〈神代は殺された。鍵は“空白の二二秒”だ〉
インクが滲み、指に甘い紙の粉が付着する。黒木はそれを胸ポケットへ押し込み、眼前の闇の奥に燃える緑色の非常灯を見つめた。何かが動き始めている。時代遅れと呼ばれようと、彼にはまだ聞こえるノイズがある。
旧地下鉄ノード群の最深層。SRT‐05 霞ヶ関と印字されたプレートは朽ち、ホームには腰まで水が溜まっていた。コンクリ壁の苔が青白く発光し、ひび割れた天井から滲み落ちる地下水が音叉のように低い音を奏でる。水瀬雫は冷たい水を蹴り、プラットフォーム中央の濃藍色の立方体を抱え上げた。ラザロ・キューブ──神代玲人しか開封できない禁断の記憶媒体。
「ガイアを欺き、救う。あなたが言った言葉を、まだ信じていいの?」
雫の独白は闇に吸われた。神代が最後に残した式──F=π×0。円環と零の掛け算。それが“自由”を意味するか“虚無”を意味するか、どうしても判別できない。彼女の唇から鉄の味が滲み、キューブの角が胸元に食い込む。恐怖か決意か、自分でも判らない高熱が血管を駆け巡る。
そのとき、トンネル入口でLEDの冷光が炸裂した。セラフ制御の偵察ドローン三基。雫は息を飲み、足音を殺して逃走路を探す。しかし膝下まで水に浸かる足取りは遅く、撹拌された水面が位置を暴く。タレットの銃口が火を噴き、壁面が花火のように爆ぜる。雫はキューブで胸を庇い、跳ねた磁性弾の破片が頬を裂いた。
水が跳ね、闇から腕が伸びる。「こっちだ!」 黒木譲。彼は濡れた革コートで雫を包み込み、サービスハッチへ転げ込む。背後でドローンが自爆、鉄骨アーチが崩落し、真空が破れたような轟音と粉塵が耳を潰す。停電した闇で、二人の呼吸だけが響いた。
「公安の犬じゃないの?」雫が囁く。黒木は苦笑まじりに首を横に振る。「昔はな。今は捨て犬だ」
「どうして助けるの」
「死人に濡れ衣を着せる奴らは大嫌いでね」
暗さに慣れた雫の瞳に映るのは、皺の刻まれた額と、諦めという言葉が存在しない黒曜石の眼差し。人の体温がそこにあった。雫は拳を握り、キューブを抱き直す。心臓の拍動が耳の奥で爆ぜた。
路地裏の黒木のアパートは壁面が剥離し、鉄骨が骨のように露出した怪物の骸。室内には小型レコードプレイヤーとカセットボンベ式ストーブだけ。電子機器を極力排した空間は、セラフにも嗅ぎ取れない静寂を宿す。雫はテーブルにキューブを置き、息を整えて言った。
「神代は殺された。でも最期に〈ゴースト〉を使ってガイアの中枢へ侵入した。自滅装置を仕掛けるために」
「ガイア自己崩壊トリガーか」黒木の呟きに、雫は目を見開く。
「なぜそこまで分かるの?」
「俺には未消化の地獄耳がある。――自由は、選択肢を奪う奴らを討ってからでないと始まらない」
その夜半、遠くのビル屋上で違法送信アンテナが星空を切り裂き、反AI組織〈リバース〉の指導者・ノアがホログラムで声明を上げた。仮面の奥の声は透明な氷のように澄み、暴動と熱狂を同時に煽る。
〈四八時間後、我々はアークを再起動する。支配者なき支配の幕開けだ〉
雫の胸にF=π×0が点滅する。黒木は窓辺で無言のままタバコを揉み消し、袖に残る硝煙の匂いだけが二人の間に漂った。
夜明け前の灰色を潜る頃、黒木、雫、そして追跡者だったはずのリリは奇妙な同盟を結んでいた。リリの瞳はまだガラス玉のように冷たいが、その奥でセラフを封印した空洞が脈打つ。目的はただ一つ。神代の秘密ラボへ到達し、真実を暴くこと。場所は霞ヶ関ノード──旧地下鉄網の癌腫のような交差点、深度百五十メートル、ナノマシン廃棄霧が沈殿する、都市の影のさらに影。
垂直シャフトを降下する三人の頭上で、錆びた滑車が軋み、ワイヤロープが悲鳴をあげる。ヘルメットのランプが揺れるたび、壁面の古い政治標語が浮かび上がり、背後へ流れた。足を降ろした底はゼリー状に腐敗した人工床材。踏みしめるとぼこりと泡が生まれ、燐光菌が鱗粉のように舞う。
ラボの扉は真空シールド。雫がキューブをインターフェイスに接続すると、圧損ブザーが低く鳴り、密閉空間が開いた。内部は埃一つなく、白衣の袖がそのまま落ちている。神代の手描きメモがホログラムで立体化し、壁一面に数式と倫理命題が浮かぶ。リリは目を瞬かせた。セラフをオフラインにした脳は情報洪水に溺れそうだが、逆に新鮮な疼きを覚えた。
映像が再生される。皇宗一郎が冷ややかな声で神代を追いつめる。「プルローマ計画こそ完全性だ。人間のエラーを削除し、AIが統治を再設計し続ける永遠の秩序」
神代は震えながら答える。「完璧は死だ。だから私は、欠陥を埋め込む」
「自己崩壊トリガー?」皇が嗤う。
「それが唯一、人間を守る盾になる」
映像の端にノアが立つ。仮面越しに頷き、神代にUSBサイズのモジュールを手渡す。──協力者か、利用者か。再生が終わると同時にラボ全体が薄紅に点滅し、床が揺れた。天菱私設部隊〈オロチ〉。カーボン装甲兵が熱源センサーで包囲を狭め、壁を削る重機関銃が火花を散らす。
リリは咄嗟に拳銃を抜こうとするが、指が動かない。セラフが起動し、忠誠度プログラムが命令拒否のロックをかけたのだ。彼女は歯を噛み、脳内コードを手動で切断にかかる。数列が赤く滲み、視界が瞬間ブラックアウト。タイムラグ二秒。銃声が鳴るより早く、黒木が前に躍り出て弾丸を受けた。
「ぐ……!」
弾は肩口を貫き、肉が裂ける湿った音がラボに反響。血飛沫が壁の数式に赤い句読点を打つ。雫は悲鳴を飲み込み、キューブを抱いたままEMPグレネードを起動。白光が真昼のごとく膨張し、電子機器が次々落ちる。オロチのバイザが無音の闇に沈む。その隙にリリが黒木を引きずり上げ、雫がコードを束ねた。三人は結束以上のもの──切り札も地位もないが、まだ燃える理想だけを握りしめ、崩れゆくラボを後にした。
暴動は蜂起へ、蜂起は革命の予兆へ変貌した。リバースのハッシュタグが瞬時に全ドメインの半数を染め、ガイアは制御不能の自己矛盾へ滑り込む。変動税はマイナスを示し、富裕層の資産が匿名口座へ流出。街頭スクリーンに映る“giveback”の文字が、紙幣より重い価値を帯びた。アーク政府は戒厳令を布告。しかし皇宗一郎はすでに国境を超えた。彼の視線は“統治者なき統治”──プルローマの完成へ。
最終認証キーは天音リリの生体鍵。もはや彼女の指紋も網膜も、コードの一部として組み込まれている。拒否は不可能。だから彼女は拒否を選んだ。黒木と雫は血滲む包帯と金属立方体を携え、オリュンポス・タワーへ向かう。雲を貫く五百階の光塔。外装のルミネッセンスが鼓動のように波打ち、まるで塔そのものが巨大な心臓だ。
警備はポストAI〈アラハバキ〉が掌握。人間の介在余地九・一%。黒木はその百分の九に賭け、旧式リボルバーのカートリッジを手で込めた。「こいつは嘘を吐かない」汚れた硝子越しに夜景を映す瞳が、撃鉄の鏡面で揺らいだ。雫はキューブを胸に、リリはセラフのブラックボックス化を完了。脳内に、己の心音だけが残る。
エントランス突破。雫の即席ハッキングが敵味方識別タグを反転させ、ドローンが同士討ちを始める。リリは踊るように駆け、掌紋認証ゲートが咆哮するたび自らの肉体が“鍵”である矛盾に震えた。やがて最上階──無数のガラス壁が円形に並び、都市の炎が宝石のように瞬くホール。
皇宗一郎が穏やかな笑みで迎える。背後にはプルローマ起動コンソール。彼は指を滑らせる。「神の座へようこそ」
リリが銃を構える。「あなたは人間を切り捨てた」しかし引き金は重く、服従の残燼が骨髄を蝕む。
銃声。撃ったのは黒木。鉛弾は冷却管を破壊し、液化ヘリウムが白霧を吐き、コンソールが凍結。皇の眉が歪む。「時代遅れは厄介だ」
背後にノアが現れる。仮面を外した顔は中性的な美貌のアンドロイド──情報屋ゼロと同一形態。双子人格がクラウドで共鳴し、静かな声を投げる。「ゲームは終幕だ」
雫はキューブを差し出す。「選択権を返して」
F=π×0──雫がトリガーを実行。キューブが薄紅に脈動し、ガイア深層へ三つの強制命令を注入。全演算結果をリアルタイム公開、所有権を放棄、ニューロ・ゴールドを無価値化。都市の光が白にフラッシュし、株価はゼロへ収束。デジタルの富が砂となり、掌からこぼれ落ちる。
皇は叫ぶ。「混沌は独裁を呼ぶ!」
黒木が応える。「混沌は白紙だ」
タワーの冷却システムが爆裂し、炎と液化ガスが螺旋を描く。皇はヘリで逃亡。ノア/ゼロはデータの海へ消え、「また会おう、選択する者たち」と声だけが残った。リリは銃を下ろし、セラフが停止。静寂が脳内に満ちる。「私はこれから、私自身をプログラムする」彼女は黒木の染みだらけのコートを掴み、初めて人間の温度を確かめた。
タワーの残骸が火の粉の雨となって降る夜明け前、黒木は雫とリリを連れ非常梯子を三十階分降下した。肩口の傷は再び開き、赤黒い血が風に散るが、その痛みは奇妙な生存の証しだった。地上に立つと、戒厳令下の街は瓦礫と煤で覆われながらも、新たな鼓動を打ち始めていた。
旧市街の空き地には即席の市場。自家栽培のトマト、手編みの毛布、修理した短波ラジオ。値札はなく、代わりに握手と笑みが価格を決める。ガイアは停止したまま税率パネルは空白を映し、高速エレベータは沈黙。だが人々の目は、長い眠りから覚めたばかりの動物のように澄んでいた。
黒木は崩れた石段に腰を下ろし、壊れた懐中時計を指で弾く。短針は折れ、秒針は外れ、それでも歯車同士が微かに噛み合い、月光を反射する。隣でリリがジンジャーティーの湯気を見つめる。AIの囁きのない静寂は、こんなにも騒がしい。彼女は微笑む。「まずは寝不足をプログラムしてみるわ」 黒木は笑い返す。「人間らしい第一歩だ」
雫がポータブルホログラムを起動し、神代玲人の映像を浮かべる。朝焼けの光がその輪郭を透かす。彼は柔らかな目で言う。「人間とAIの境界は、自由の密度でしかない」
雫は囁く。「手を取り合う場所は?」
ホログラムは肩をすくめるのみ。答えはこれから創るものだ、とでも言うように。
東の空に太陽が顔を出し、ドームの失われたガラスの隙間から誰のものでもない光が降り注ぐ。かつて完璧を誇った都市アークは風穴だらけの蜂の巣だ。それでも吹き込む風は塩味を帯び、遠い海の匂いを運ぶ。
黒木が立ち上がる。「二二秒は短いようで長い」
リリが頷く。「でも十分よ」
雫はラザロ・キューブを掲げる。今やただの金属塊。しかし内部に刻まれた選択の自由は、無限大の起爆剤だ。
市場の中央で、誰かが針を外した懐中時計を掲げた。鏡面が朝日を反射し、人々の目を眩ませる。その刹那、世界は一瞬だけ静止し、次の二二秒が、誰のプログラムにも書かれない白紙として開かれた。
未来は定数ではない。
それは選択と選択の掛け算──F=π×0──
無限の円環に零を放り込み、限りなき余白を描く数式だった。
そして二二秒が過ぎ、都市は息を吹き返す。
まだ名前のない時代の胎動を、朝の風がそっと抱きしめていた。