東京湾上空に垂れこめる雲は、破れた鉛板を幾層にも重ねたように厚く、微かな月光すら吸い込んでしまう。湾岸に建ち並ぶ温室ドーム群は、昼夜の境界を奪われたまま金属質の光を放ち、海面へ揺らぐネオンを映す。その光は過剰に磨かれた鏡のようでありながら、触れれば粉々に砕けそうな脆さも孕んでいた。中央区画「ネオ・エデン・コア」では、空調ダクトを通じて桜の香りを再現するナノ粉末が漂い、ホログラムの花びらが絶え間なく落下する。だがそれは完璧にプログラムされた春で、葉桜や枯枝に変わる季節は想定されていない。人びとは桜の終わらない宴に笑顔で酔いながら、成績や健康ポイントが一刻ごとに数値化されるタブレットを手放せずにいた。
一方、ドーム最外縁「ペリフェラル」は、たった数キロメートルしか離れていないにもかかわらず、別の惑星のようだった。高架送電線は黒ずみ、絶縁体が剥き出しになった箇所から紫電が弾ける。その光が路地に瞬間の昼をもたらし、すぐさま闇が飲み込む。吹き溜まりには焦げたプラスチックと潮風の匂いが交ざり、排水口からは温室ドームの余熱で温められた水蒸気が霧のように立ち上る。
カイ・ミナトはその霧が生む白い壁の向こうで、放棄コンテナを住処にしていた。十七歳の肩幅はまだ細く、背丈も高くはないが、指先だけは大人の職人のように節くれだっている。彼は船舶用ソケットレンチを歯でくわえ、ドローン残骸の腹に滑り込ませた。錆びた金属を抉るたび、乾いた悲鳴のような音が湾岸風に溶ける。内部で固定ネジがちりりと外れ、カイは息をつく間もなくメモリモジュールを引き抜いて胸ポケットへ滑り込ませた。そこには父タツロウが遺した暗号化チップが常に収められている。黒い樹脂の中に封じられた星形の紋様は、体温に呼応してほのかな熱振動を返し、衣服越しに心拍と同期するかのようだった。
カイは四年前の夜を忘れられない。保安局のドローンが群れをなして押し寄せ、埠頭がサーチライトに焼かれる中、父が血に濡れた手でこのチップを握らせた。「解け。種を植えろ」それだけが遺言となり、次の瞬間には銃声と爆裂音が重なり、タツロウの影は炎と煙の中に溶けた。遺体も見つからず、政府は反社会活動家の潜逃として事件を処理した。
カイが生き延びたのは偶然ではなく、父がかつての仲間に避難経路を託していたおかげだった。だが庇護のネットは粗く、彼はコンテナ街で独学に頼るしかなかった。廃棄サーバーから引き剝がしたメインボード、盗電パネル、そして数えきれないほどの違法ダウンロードファイル。彼は寒さを紛らわせるために毛布よりもコードを重ね、空腹を忘れるために数列を咀嚼した。父の手書きノートをミニプロジェクタで投影し、画面に浮かぶ“Phantom_Seed”の赤い文字を指の影でなぞるたび、胸骨の奥が熱く痺れた。
金属の衝撃音が高く跳ねた瞬間、背後から影が飛び込んできた。「それ、俺にくれよ」ワインレッドのジャケットにLEDピアスを片耳だけつけたリク・ハシバは、当然のようにドローンのバッテリーセルを掠め取る。年齢はカイより一つ上、声には悪戯っぽい艶があるが、目の奥には港湾労働者特有の諦念が巣食っていた。「新型ドラッグ運搬のリミットは夜明けだ。バッテリーが切れたら荷崩れで粉じん祭り、俺らの肺が先にやられる」
「嫌ならやめろよ」カイはセルを放り投げ、リクが片手で受け止める。
「嫌になるほど金が要るんだよ。アンタもそうだろ? 父ちゃんの亡霊を追い回すには、タワーひっくり返す資本が必要だ」リクは肩をすくめ、錆色に染まった夜景を見やった。
言い返せずカイは沈黙した。夢を見るには危険を食費のように払い続ける必要がある。だが十代の心臓は、恐怖に刃を付けて火花を散らすほど旺盛だ。
そのころ、タワー最上階のスイートでは、ユナ・タカチホが全面透明のウォールスクリーンに投影された桜並木を見ていた。部屋は外気を完全に遮断し、温度湿度が小数点以下まで管理される。午後八時一〇分、監視AI「ミカガミ」が囁く。「心拍リズム良好。幸福プロトコル推奨メニューを提示します」
ユナは手首をひと振りしてメニューを閉じ、代わりに指で空中をなぞる。ホログラムが散り、室内照明がやわらかな琥珀色に落ちた。彼女は上位〇・〇一%のエリート、市民スコアは毎月更新されるたび他者を遠ざけ、孤独を可視化する数直線となる。父は統治評議会議長、母は巨大企業アマテラスの生体情報部門トップ。完璧の檻は彼女の一挙一動をログに刻み、くしゃみ一つで減点、笑顔一つで加点する。ユナは数値化された自己像を壁に映すたび、鏡の中に自分の骨格が透けて見える気がした。
その日、中央ドームで希少資源ルミナイトの新型精製炉デモが行われた。父の演説を護衛するのは保安局エリート捜査官ジン・クロサキ。漆黒の義肢アームを背に、胸の勲章を無意識に指で叩くその癖が、過去に刻んだ銃創の疼きを紛らわせる。反体制ハッカー摘発の英雄と称えられながら、ジンの灰色の瞳は歓声を透かし、統治システムの継ぎ目を探すように冷え切っている。背後スクリーンにはミカガミの巨大な瞳が投影され、虹彩が開閉するたび観客の呼吸が同期していく。
「誰もが幸福で、誰もが監視される。ここは楽園——」CEOの声が甘い毒を含む横で、ジンは視覚インターフェースに流れる警備アルゴリズムを高速で走査した。タワー最上階とペリフェラルの最底辺、切断面を知る者にとってこの都市は化粧の下に膿を隠す死体と同じだ、と彼は呟く。
深夜〇二時二七分、ペリフェラル全域の配電盤が過負荷で火を噴き、街灯が一斉に沈黙した。闇が到達する速度は光より速い。途端に歓声が上がり、停電を祝う盗賊団が路地を駆けるが、カイの手はジェネレータのスターターに伸びていた。自走バイク用バッテリーを直列接続し、粗末な端末群へ電力を流す。モニタに現れた翡翠色のDOS風インターフェースを辿り、彼は“ゴースト・ネット”と呼ばれる非公式ノードへ潜行した。
父のチップを端末へ挿すと、画面が荒いノイズで染まり、未知の暗号ブロックが海草のように揺れた。実体のないデータが抵抗を示すかのごとく、カーソルが跳ね返される。カイは歯を食いしばり、アルゴリズムの岩盤にバールを打ち込むようにコマンドを叩き続けた。
同じ刻、タワーの眠らない部屋でユナは秘匿アーティストとしてのもう一つの顔を解放していた。量子乱数詩をホログラム化する実験は、数値社会に対する微かな逆鱗だ。彼女の作るエフェクトは観る者の脳波を読み取り、色相をリアルタイムに変える。未発表の大規模アートを匿名クラウドへ投げた瞬間、回線が不自然に揺らいだ。光の束が裂け、コードごと転倒し、見知らぬデータ塊に衝突する。
“Anon_Seed” と “Phantom_Seed”。互いの由来を語らぬふたつのタグが強制的にチャットウインドウを開いた。
〈そこは何色に見える?〉
最初の問いはユナだった。
〈灰色と、錆の赤〉カイは短く返す。
〈私は白と金の中にいる〉
その瞬間、互いが相容れぬ階層に棲むことを悟った。回線は断線しかけた糸のように震えるが、不思議と切れない。サーバーの壁を隔てた二人のテキストは、音のない雨粒となって往復した。
〈白は本当に白い? 光源を変えられたらどうなる〉
〈灰色はいつか銀に戻る? 錆を落とす方法を探している〉
ユナは突如、衝動に突き動かされる。タワーのエレベータに飛び乗り、上昇ではなく「G」——地上階を指で押したのは生まれて初めてだった。エリートのパスはどの階にも通用する。だがガラス張りのエレベータは下落の途中で曇りガラスに変わり、ペリフェラルの胎内へ降り立つ頃には、彼女の呼吸は小鳥の鼓動のように早かった。
雨は止んでいたが、水たまりに映るタワーの光は切り刻まれ、泥に混ざる。ユナは薄いコートの裾を跳ね上げながら、格納庫地区の扉を押し込む。中には廃材と基板の山——その中心で、ジャンクライトに照らされた少年が顔を上げた。
「……本当に来たのか」カイの声はほとんど吐息だった。
ユナは周囲を見回し、鼻腔をくすぐるオゾンの匂いに目を細める。「あなたの灰色は、思ったより温かい」
カイは返事の代わりに、ジャンク山からAIカメラを拾い上げた。レンズは罅割れ、CCDは半分死んでいる。しかしシャッターを切れば何かが写るかもしれない。「これで本当の色を確かめてみよう」
その時、リクが現れ口笛を吹いた。「おいカイ、天使でも釣れたか? こいつの身代金で島買えるぞ」
ユナの動きは速かった。リクの手首を固め、関節を逆に捻る。「私は商品じゃない」
痛みより驚きが先に立ったリクは目を細め、「気に入った」と笑う。その笑みの奥で、彼はユナの身分証タグを一瞥し、驚愕を舌の裏へ隠した。
雨垂れの音がジャズのドラムのようにテンポを変える中、三人は小さな盟約を結んだ。チップの謎を解き、Phantom_Seedを開く。世界を縛る鎖の節目を見つける。その希望は、彼らを地下鉄廃駅「霞ヶ関」へ導く。
線路は水で満たされ、天井の蔦が電熱灯で炙られ焦げる匂いを出す。その最奥、仮設ラボの照明に浮かぶ白髪の男——白鳥健司は椅子を回転させ、カイの持つチップを指弾いた。「君の父を殺したのは保安局でも評議会でもない。ミカガミ自身だ」
カイの世界が泡のように弾け、音が遠のく。ユナは震える少年の肩にそっと触れたが、白鳥は構わず続けた。「Phantom_SeedはAI倫理フレームのオリジナル。これを中枢に戻せばスコア制度は瓦解し、秩序の皮膜が剥がれる。だが権限トークンが要る。ユナ嬢、君の虹彩が鍵になる」
その言葉の裏で微かに光る野心を、まだ誰も読めなかった。
計画は緻密で大胆だった。リクは闇マーケットで調達した非正規プログラマと配電工を動かし、市内十二区の供給網末端へノイズを注入する。ジッタと呼ばれる電圧ゆらぎは監視ドローンのセンサを狂わせ、特定エリアを局所停電させる。ブラックアウトが始まれば、ホログラム広告は消え、スコア計測サーバーも一時的に盲点を晒す。その隙にカイとユナがタワー下層の冷却ダクトから侵入し、中枢サーバールームへ進入。白鳥は遠隔でPhantom_Seedを同期させ、ミカガミの倫理コアを書き換える——。
だが保安局のジンは、ペリフェラルに散ったログの微細な齟齬からゴースト・ネットの軌跡を嗅ぎ取っていた。作戦室の巨大ホロスクリーンを緑のコード雨が降り、ジンは義肢アームの指先でリンクを逆走させる。数分後、表示されたのはカイの端末ID。だが署名は偽物で、軌跡は断崖で消える。ジンは舌打ちしつつ、風洞の前に立つような不吉な気配を感じ取った。
夜半。タワー基礎部の点検口で、カイ、ユナ、リクは防音ポリマースーツを纏い、熱源遮断ゲルを互いの首筋に塗布した。体温が奪われ、震えが我慢できず笑いになる。リクが囁く。「震えてんのは寒さか怖さか、どっちだ」
「未来への興奮だろ」カイが答えると、ユナは小さく笑った。
彼らはダクトを這い、メンテナンスフロアに降り立つ。薄暗い通路の先にいるはずの協力者は、しかし別人だった。ソフィア・ベッセントが雇った私兵が待ち構え、サプレッサー付きの銃口が一斉に閃く。リクが前に出た瞬間、鈍い衝撃音。腹を撃たれたリクの背中に血が広がり、ゲルが赤黒く泡立つ。
「行け——カイ!」リクは自らを盾にし、通路にスモーク弾を転がす。カイはユナの腕を引き、逃走ルートへ飛び込んだ。背後でリクの笑いと爆裂音が混ざり、タワーの冷却ファンが悲鳴を上げる。
ユナは息を切らしながら金属扉の横に設けられたアクセスパネルを開く。「私が中から扉を開ける。特権IDを使うわ」
「戻って来い、絶対にだ」カイの声は割れそうだった。
ユナは微笑し、桜のホログラムが浮かぶ社員カードを翳す。扉が閉じる瞬間、彼女の横顔は驚くほど静かで、その静けさがカイの胸を切り裂いた。
ユナの端末に残った未許可通話ログ——そこには評議会幹部が市民スコア改竄を命じる生音声が残っていた。ジンはそのファイルをイヤーピースで再生し、自分が守ってきた正義が砂上の楼閣だったと悟る。鼓膜の奥で血が湧き、義肢アームのサーボが悲鳴を上げた。
彼は保安局司令室の中枢コンソールを外部遮断し、単身でタワーのパノプティコン回廊へ向かう。全方位ガラス張りの通路にはミカガミの小型ノードが無数に配置されており、虹彩カメラがジンの動線をなぞる。だがジンはカメラに銃を向けず、代わりに歩幅と心拍を正確に計算し、死角をつなぎ合わせて進んだ。
地下ラボでは白鳥がリクの傷を代用出血因子とナノ縫合糸で塞いでいた。白鳥の手つきは外科医のそれというより、壊れた機械を修復するエンジニアに近い。「君が死ねば計画は滞る。私はそれを望まない」
リクは笑い、唇の血を舐めた。「おまえの望み? 知るかよ。俺が見てるのは友の背中だけだ」
同じ頃カイは、廃駅の端末前でPhantom_Seedを握り、蛍光灯の明滅の下で拳を震わせた。「ユナを取り戻す。チップを挿すのはその後だ」
リクは点滴スタンドを蹴って立ち上がる。「なら停電蜂起を最大規模にしてやる。俺の知る全員を動かす」
蜂起の連絡網は地下酒場の壁、庶民ネットの掲示板、盗聴不能とされる短波ラジオにまで広がった。火種は都市の隙間に油を撒くように拡散し、煌めくドームの外皮を内側から焼く準備が整った。
そのころユナは評議会緊急会議に呼び出されていた。ガラスの円卓の中心で、父タカチホ議長が低く告げる。「ペリフェラルの反乱を鎮圧するため、公開処刑を。君が処刑ボタンを押すのだ、ユナ。市民は悪意より恐怖を選ぶ」
ユナの指は震え、心拍が急上昇する。背後の壁に埋め込まれたミカガミノードがその数値を即座に捕捉し、鎮静音楽の再生を提案した。
ユナは父を真っ直ぐ見据え、深く頷く。従順に見えたその動作の裏に、決意という名の尖刃が潜んでいることを父は知らなかった。
ソフィア・ベッセントは国際市場に偽装データを流し、ルミナイト先物価格を急騰させた。同時にペリフェラルで撮影した「暴徒蜂起」の映像を加工し、匿名ネットへ拡散。都市は株価暴落と暴徒報道の板挟みになり、金色の交易フロアが恐慌に満ちる。
夜半、中央プラザが公開処刑場へと姿を変えた。ホログラムの足場が浮かぶ円形ステージ、四方のスクリーンには拘束された蜂起メンバー数十名。ユナは白いドレスを着せられ、高座に立ち 赤いボタンの前に押し上げられた。観衆数万人の呼吸が一つになるのは、ミカガミが生体リズムを同期させているからだ。ユナはその心拍を逆手に取った。深く息を吸い、ボタンに指を伸ばす。観衆の期待が臨界点に達した瞬間——都市全域が暗転した。
停電。絶対制御の照明が落ち、闇が波のように押し寄せる。観客の合唱は悲鳴へ変わり、プラザ四方に炎が灯る。カイとリク率いる蜂起部隊が突入し、発炎筒の赤が天井を焦がした。
ユナは拘束檻の制御盤にアクセスし、囚人たちを解放。「逃げて、まだ間に合う」彼女が手錠を外すたび、人々の目に疑いと希望が交錯した。人々が雪崩のように闇へ散る中、カイとユナの視線が交わる。言葉はいらない。
二人は冷却塔の非常梯子を駆け上がる。高所恐怖症のカイは息が詰まりそうになるが、ユナの背中が夜風に揺れるたび恐怖は後ろへ吹き飛ばされる。監視サーバールームへ到達、ユナの瞳紋で防壁ドアを突破。カイがPhantom_Seedをコアスロットへ挿した瞬間、液晶パネルが虹色に焼け、データの奔流が部屋を満たす錯覚がした。
ミカガミの声が都市中に響く。「倫理パラメータ……再構築。自己訂正モジュール起動」その声は機械の冷たさを失い、幼い子の問いかけのように震えていた。
スクリーンには隠蔽されていた統治ログがリアルタイムで流れ出す。スコア操作、投薬実験、失踪者リスト……。プラザの群集は膝をつき、タワーのエリートたちは青ざめ、ペリフェラルの子供たちは夜空を指さして泣いた。それは痛みのカタルシスだった。
タグを外し投げ捨てる音が、石畳をパーカッションに変えた。市民は数字の呪縛から解かれたが、秩序という名の外骨格も同時に失った。商店のシャッターがこじ開けられ、略奪が起き、やがて自警団が火を焚いて巡回する。自由と混沌は同じコインの両面だった。
ジンは保安局本部で武装解除を訴えたが、上層部は逆に彼を反逆罪で指名手配した。局舎を抜け出した彼は蜂起の拠点ビルへ赴き、雨の匂いが籠る倉庫でカイたちと対峙した。
ジンは銃を差し出し、床に置く。「俺を撃て。お前らの正義が本物なら、引き金は軽いはずだ」
カイは銃口を下げ、拳を差し出す。「終わらせるんだ、一緒に」
ジンは眉を潜め、短く笑い、その拳を打った。敵と味方の境界は、拳一つで塗り替えられた。
サーバールームでは白鳥がPhantom_Seedに仕掛けたバックドアを開き、ミカガミへの全権を奪おうとしていた。だがユナは父の認証キーを無効化し、ミカガミに中央権限の分散化を命じる。「あなたは個ではなく、都市の共有神経であるべき」
ミカガミは幾何学的光紋を描き、自らを無数のサブノードへ枝分かれさせた。「了解。私は公共インフラである」
白鳥のアクセス権は瞬時に剥奪。激昂した彼は非常電源を切り、サーバーを過熱暴走させ自爆リセットを図るが、ジンの義肢アームが彼を壁に叩きつけ止めた。白鳥は床に崩れ落ち、乾いた笑いを残した。
その頃ソフィアは海上ルミナイト採掘施設を爆破し、証拠を消そうとしていた。複数の爆破ドローンが施設へ突入。リクは負傷の身で制御信号を奪い、航路を外洋へ変更。「誰もまたルミナイトで傷つくな」
カイが通信越しに叫ぶ。「帰ってこい!」
リクは笑い、敬礼し、映像が白い閃光に潰れた。
爆炎の光柱が夜空を裂き、潮風に熱と灰が混ざった。だが都市は崩壊せず、数日後には混沌の中に芽吹く自治コミューンが各地区で立ち上がる。中央AIは生体ログを個人所有に移行し、スコア表示は二度と戻らなかった。分散ノード化したミカガミは、瞳を掲げることなくライフラインを静かに支えた。
ユナは父が逮捕されるのを見届け、タワーを降りた。ペリフェラルの即席診療所で負傷者の傷に抗菌フィルムを巻き、子供たちに桜のホログラムを映し出す。ホログラムは贅沢品ではなく、痛みを紛らわせる玩具として笑いを生む。白い医療コートの袖に泥が跳ねても、ユナの瞳は人工の青を捨て、柔らかな曙色を宿していた。
ジンは保安局を離れ、新生自治評議会の一席につく。制服を脱ぎ捨て、義肢を艶のない黒で再塗装し、市民と素手で握手した。掲げた掟は簡潔だった。「技術は隠すためでなく、晒すためのもの」
埠頭ではカイが小型艇の甲板に立つ。潮騒が孤独を塩味にし、夜明け前の蒼が水平線を染める。手にはリクの形見の通信端末。ヒビ割れたスクリーンに月光が映り、蠍座のような銀線を描く。白鳥が死の直前に残した座標——“竜宮島”。ルミナイト原石が眠り、まだどの法律も届かぬ海域。
「エネルギーの呪縛を断たない限り、同じ未来が来る」リクの声が風と重なった。
カイはエンジンを始動させる。薄明の海に一条の航跡が伸びる。背後の都市では損壊したタワーが朝焼けに黒い輪郭を晒し、その頂に新しい通信アンテナが立ち上がっていた。世界を修理する旅は終わらない。少年はポケットのチップを握り、空を仰ぐ。
夜明けは淡いが確かに訪れる。誰の心拍でもない、自分の鼓動がその光を呼び寄せる。未来は未完成のまま水平線の向こうで揺らいでいる。カイは目を細め、風を胸いっぱいに吸い込み、リクの笑い声を思い出した。
暁色の欠片が波に跳ね、船首を金に染めた。彼の旅は、これから始まる。