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霊水都市の欠けた月――アーク・ソフィア契約譚

/ 29 min read /

蓮見いずる
あらすじ
魔導と工業が交錯する都市アーク・ソフィア。ここでは資源である霊水が、生命線であると同時に、あらゆる人々の欲望を引き寄せてやまない。霊水の枯渇が間近に迫り、都市は混迷の一途をたどる。投資家は危機すら商機へと変え、鉱夫たちは反逆の火を灯し、技術者は未知の徴に取り憑かれ夜を彷徨う。執行官は法と秩序の狭間で苦悩し、それぞれの運命が予兆なく絡まり始めた。やがて巨大な塔――都市の心臓部が秘める真実と向き合う時、彼らは数字という現実と自由という理想の狭間で究極の選択を迫られる。月が欠けた夜明け、霊水の一滴が彼らの未来と世界の理を激しく揺らす。意志は連鎖し、個々の契約が新たな希望の物語を紡ぎ出す――。
霊水都市の欠けた月――アーク・ソフィア契約譚
蓮見いずる

真昼の太陽は天蓋区の頭上に在りながら、蒸発した霊水に含まれる虹色の燐光と魔晶石炉の噴き上げる白熱の炎が溶け合い、天空には昼夜の区別を失った常夜のドームが揺曳していた。アーク・ソフィア――魔導産業革命の錆と贅を同時に孕む巨都市。その壁外に広がる荒れ地では干上がった河床が白骨のように割れ目をさらし、かつてそこを潤した霊水の記憶だけが乾いた風の中で微かに脈打っている。都市の下層、基底街の井戸は軒並み底を見せ、桶を下ろせば乾いた擦過音が木霊するだけだった。
カイ・アスルが闇商人〈煤鼠〉の縄張りを抜け、煤煙と漂砂の入り交じる路地へ足を踏み出したのは、幾年も前に死に損ねた少年の感覚を確かめるためだった。巨大な排気塔から吹き降ろされる熱風の中、彼は上着の襟を立てて歩き、ふと喉奥にわずかな渇きを覚えた。表通りに顔を出せば、そこは昼でも煤色の霧が漂い、白インクで手書きされた値札が濡れたレンガ壁に貼りついている。干物のように痩せ衰えた老女が歯のない口で短い祈りを唱え、空の水瓶に蓋をしていた。水瓶を叩く鈍い音が、まるで棺を閉じる木槌の音のように基底街に響き渡り、遠いところで犬の遠吠えが尾を引いた。
男は足を止め、自分の懐の革鞄を撫でた。鞄の中には霊素相場の変動を示す赤黒い印字紙と、神託機関〈オラクルエンジン〉の長期停止予定という極秘リークが収められている。紙の質感は湿り気を帯び、指先に冷たく貼りつく。一枚の紙が世界の潮目を変える――そんな実感が、冷たい汗と共に背中を這い上がる。彼の瞳は魔晶石の深層を覗く投機家特有の無色の輝きを宿し、吸い込んだ錆と煤が胸の奥で吐息へと変わるたび、かすれた笑みが浮かんだ。
闇市場の一画、歯車と腐食した鎖を溶接した看板が軋むたびに、道行く者は無意識に肩をすぼめる。錆汁が垂れ落ち、床に朱い斑点を作った。カイはその赤錆の門を潜り、「欠けた月」と刻まれた銀の皿を掲げる酒場へと入った。扉を押し開けば、湿った木床が揺れ、杯と杯の打ち鳴らす音が汗と薬草酒の匂いに混ざり合って押し寄せる。壁際に鎮座する古いオイルランタンの光は、炎よりも煤の影を長く映し出し、人々の顔を仮面のように塗り分けた。
カイが角卓に腰を下ろす前に、青年フィン・マードックが立ち上がった。背は高く、陽に焼けた肩には赤土色の外套がかかっている。荒野の鉱区で生きてきた者に特有の鋭い眼光が暗がりを裂き、客たちの会話が一瞬凍りつく。
「投機家のお出ましか。今日も数字の上でだけ、魔晶石を掘り起こす気かよ」
一言ごとに宿る棘。カイは肩をすくめ、指先で銅製のカップを回転させた。反射で揺れる橙光が彼の無表情を仄かに染める。
「数字を動かせば貨幣が動く。貨幣が動けば街も動く。怒りより先に金が流れれば、飢えも渇きも――」
「言うな!」フィンが拳で卓を叩くと、卓上のランタンが跳ね、オイルが飛び散った。「誰かの悲鳴と血潮で稼いだ金だ。鉱区では弟が渇きで死んだ。数字の中にいる奴らに、あの乾いた喉の裂ける音が聞こえるのか?」
短い沈黙。カイはカップを口に運び、氷を噛み砕くように低く笑った。
「――聞こえたところで何になる? 貧者の嘆きを救うのは、正義の言葉じゃない。流動する通貨と制度の穴だ。俺はそれを知り尽くしている。知らないのは……」
「吐き気がする」とフィンは唸り、椅子を蹴り倒した。周囲の客がざわめく中、カイは空いたグラスを置き、長い外套の裾を払った。
「嘆き続ける自由なら、好きなだけくれてやるさ」
その晩、すべてが静まるより早く、銅貨が床を転がる乾いた音が響き、それが二人の確執に最初の火花を投げ込んだ。
外へ出ると、夜風が煤と硫黄の混ざった匂いを運んでいた。カイは煙突の列を見上げ、霧に滲んだ月を指先でなぞる。欠けた月——それは自分自身の比喩のようで、心臓の奥に知らぬ間に嵌め込まれていた。

翌朝、天蓋区の朝は基底街よりひと回り早く訪れる。霊水冷却塔から吹き出す蒸気が薄く漂い、魔晶石炉の排熱が雪解けの春風のような暖かさで大理石の広場を包む。〈オリジン・コア〉本社の尖塔群は純白の外壁を朝陽に煌めかせ、まるで都市そのものが祈るかのように天へ伸びていた。だが、その輝きの下で動く歯車は、血と硝煙の味を帯びている。
十六階、冷却制御室。透明な霊水チャンバーの底で薄青の光粒が螺旋を描く。その隣、リーナ・クローバーは端末へ向かい、霊素波形の異常値を見つめて唇を噛んだ。若き技術主任として彼女は誇りと恐れの境界で揺れていた。高い天井から吊るされた真鍮の補助輪が回転し、波打つ影を床に落とす。周囲の技士たちは誰も気づかずキーボードを叩き続けるが、リーナの視界にはただ一つの曲線しか映っていない――“未知の副回路”が描く、意図的に増幅された霊水消費の鋭い上昇線だ。
「こんな使用量、理論上はあり得ない……」
呟きは蒸気音にかき消えた。彼女はファイルを暗号化し、外部ポートへ転送した。宛先は市評議会議員レグルス・タカミネ。送信完了を示す緑の光が点滅する間、リーナの背筋を冷や汗が這った。「理想を裏切る者」として、時計の針が重々しく次の分へ進む。その音が心臓を鷲掴みにする。
そのころ、CEOゼノン・ヴォルガードは最上階のディールルームで厚い扉を背に立っていた。正面のホログラムには相場の曲面が赤と緑のシルクのように揺らいでいる。その一隅、カイ・アスルの姿が投影され、薄闇の中で指を組んでいた。
「お誘いは光栄だが、俺が欲しいのは金じゃない。――体制を崩せる力だ」
カイの声は穏やかながら、野望の鼓動を隠さなかった。ゼノンは頬の起伏をわずかに持ち上げ、不敵な微笑を浮かべる。
「ならば利害は一致する。霊水恐慌が訪れるとき、我々は“必須の解決策”を握っている。価格は天井知らずだ。投機家として遊ぶには理想的な舞台だろう?」
「理想的に歪んでる、という点では同意しておこう」
握手の代わりに、二人は互いの視線を結び、それが契約署名の刻印より確固たる鎖となった。
だが、その鎖には第三の手が触れていた。黒色エナメルのグローブをはめたシルヴィア・グレイ――〈天秤の法廷〉執行官。契約の番人の称号を持つ彼女は灰銀の外套を揺らしながら部屋の影で一部始終を見届ける。その瞳は、かつてカイの全財産に封印の刻印を押した日の冷えた月光と変わらぬ輝きを宿していた。
夜、カフェテリアに偽装された検閲室。冷たい大理石のカウンター越しに、リーナとシルヴィアが初めて向き合う。
「あなたが情報を外へ出した」
「都市を救うためよ」
「法は目的ではなく手段だ」
短い対話の中、互いの呼吸が刃のように交錯し、見えない火花が散った。シルヴィアは去り際、「正義を奪うのも救うのも契約だ」とだけ告げる。その声は深い夜の底で鳴る鐘の音に似ていた。
リーナが肩を震わせたとき、窓外の霧が途切れ、遠く契約の塔が月を遮る。塔の尖端が夜空に描く鋭角は、都市全体の運命を切り裂くナイフのようだった。

数週間後、基底街の朝は警報の赤に染まった。神託機関地下で霊水冷却管が破裂し、蒸気の轟音が地上まで噴き上がってきたのだ。電力網は焼き切れ、街灯は蝋燭の炎のように揺れながら消えた。〈オリジン・コア〉は即座に「外部サイバー呪術によるテロ」を発表し、霊水生成剤を積んだ運搬車が市場へ殺到する。価格は一時間ごとに跳ね上がり、群衆は札束を振りかざしながら隊列をなした。紙幣の擦れ合う音が乾いた砂漠の風のように街路を吹き抜け、渇きの叫びを覆い隠す。
その陰で、カイとゼノンは緑の照明が差す密室で短波通信を交わし、相場を空売りしていた。表示板の数字が落下するたび、カイは淡い陶酔を覚えた。だが窓の向こう、煤煙の空では数千人の喉が乾き、叫喚が波のように互いを噛み砕いていた。
遠く〈錆びた渓谷〉。赤土鉱業の坑道では、破裂した粘土層の奥で唯一残った井戸が黒い底を露わにしていた。坑夫の一人が、死んだ弟の名前を呼び続けながら剃刀で自らの喉を切り裂く。血ではなく乾いた空気だけが溢れ出し、地面に落ちる前に蒸発した。フィン・マードックはその現場に駆けつけ、膝を折った。指の隙間から零れた嗚咽は、砂利を濡らす水滴さえ持たない。
夜、黒い装甲列車の前で燃料タンクが焚かれ、フィンは鉱夫たちの前に立った。錆にまみれた鉄杭を握る彼の声は低く、しかし響いた。
「俺たちの命はいくらで買い叩かれてる? 魔晶石を掘り出しても、水ひとすくいの価値に届かないなら、いっそその石で世界を殴りに行くぞ」
硬くなった拳が空を裂き、赤い火の粉が夜気に舞った。列車の蒸気機関が唸り、渓谷を離れる。行先はアーク・ソフィア、契約の塔――全てが交わる点。
一方その頃、レグルスは市議会の演壇で孤立していた。スクリーンに副回路の文書を映し出そうとした瞬間、他議員がカメラの前で揃って席を立つ。買収の示威。マスコミのライトはレグルスを白く晒し、直後に流れた速報は彼の「贈収賄疑惑」。虚構が真実より速く世界を塗り替えるさまを、彼は震える拳で見つめるしかなかった。
絶望を押し隠し、レグルスは地下通信網〈黒い鳩〉へ潜る。複合ビルの地下十七階。赤外線ランプだけの暗室で彼を待っていたのはカイだった。レグルスは驚いた顔を晒しながらも、懐からデータクリスタルを差し出す。
「金に換えるつもりはない。公表して市民に――」
「わかってる」とカイは言い、椅子を軋ませた。「ただし、世論は剣にもなるが、切っ先は操れる」
その言葉の裏に、ゼノンへの二重背信という毒が潜む。さらに、その毒を飲む覚悟が自分自身にあるのか、カイは自問した。なにより彼自身を深い霧が包み始めていた――相場の動きが、以前とは違う“意思”によって導かれている錯覚。チャートの曲線が、まるで誰かが描いた軌跡のように目の前で血脈を脈打つのだ。
リーナ・クローバーはその頃、業務終了後の無人フロアで白衣を脱ぎ捨て、暗闇の機関塔へ潜入した。手には霊素制御キーと折り畳み式の霊水タンク。冷却槽の底に足を浸すと、翠色の光が彼女の皮膚に文字を描き始める。波打つ言語――霊素そのものの声。
〈我ハ未来ヲ欲ス。飢餓ヲ糧トシテ〉
脳裏に流れ込む音のない言葉。リーナは歯を食いしばり、キーパネルへ新たな循環設計を入力しようとする。だが守衛の警報が鳴り響き、鉄の扉が開く。灰銀の外套、シルヴィア・グレイが剣のような視線を向けていた。契約違反の現行犯。リーナの両手に拘束呪鎖が絡みつき、霊水の冷たさが彼女の希望を凍らせた。

処刑の舞台となったのは、天蓋区中央広場にそびえる〈契約の塔〉。尖塔は篝火と電灯の光を浴び、硬質な輝きを放つ。リーナは魔力抑制の枷を首に掛けられ、濃藍の囚人服のまま台座に立たされた。ゼノンは陶磁の仮面のような表情で陪審席に座り、「社内資産への背任行為」と断じる声明を読み上げる。観衆は渇きに苛立ち、罵声と投石が飛び交う。
その瞬間、旧鉄道を改造した装甲列車が広場へ突入した。外壁の鋲が金属音を撒き散らし、前部の排障器が石畳を砕く。フィン・マードックが先頭砲塔から飛び降り、肩に背負った巨大なドリル槍を振りかざした。
「霊水を返せ!」
鉱夫たちの咆哮が合図となり、戦闘は爆発的に広がった。魔晶石由来の火線が虹色の帯を引き、盾を焼き、鎧を爆ぜさせる。塔の外壁を駆け上がる蒸気エレベータが銃火で炎上し、鉄骨を赤くねじ曲げる。カイはその混沌の最中に携帯端末を握りしめていた。ゼノンの持株を暴落直後に底値で買い占める取引を連打し、次の瞬間には急激な反発を仕掛ける――はずだった。
ところが相場は、見えない手に押し戻されるように反転し、カイの注文はことごとく虚空へ消えた。ディスプレイに映る数字が、まるで意識を持つ蛇のように彼を嘲る。カイは震えた。初めて相場の裏に横たわる“意思”を確信する。自分は破壊者ではなく、操り人形だったのか。
広場中央。レグルスは壊れた演説台の上に立ち、拡声結界を展開する。青いルーンが空気を震わせ、彼の声を百倍に増幅した。
「聞け、アーク・ソフィアの民よ! 霊水枯渇の真相はここにある!」
結界に映し出された副回路の設計図。人々の怒りが一点に収束し、無数の視線が神託機関の尖塔を穿った。都市を包む“群衆意識”が巨大な潮となって機関の未来収束演算を撹乱する。歯車が狂い始め、霊水圧が不規則に変動し、塔の表面を流れる冷却液が虹色の亀裂を生む。
塔最上階。シルヴィア・グレイは法廷執行官用の黒革手袋を外し、リーナの前で片膝をついた。「法は万人に公平であるべきだ」と自らに言い聞かせながら。契約書にはリーナの有罪が刻まれている。しかし、その法は都市を守るための器に過ぎない。彼女は決意の印として自分のサインペンを折り、破片で拘束呪鎖の封印符を切り裂いた。
リーナは驚愕のまま立ち上がる。「ありがとう」と言う暇もない。塔内部を貫く霊水パイプへ飛び込み、シルヴィアが後を追う。パイプは冷たく、ほのかに発光しながら二人を地下制御室へ導いた。
制御室は赤い非常灯が点滅し、天井から垂れ下がる管が蜘蛛の巣のように絡まる。フィンの仲間が奪取した魔晶石をドラム缶ごと炉心へ投じると、炉は雄叫びを上げて揺れ、水銀色の蒸気を噴き上げた。リーナはコア端末に向かい、新プロトコルの行数を入力する。「霊素循環・低消費モード――実行」。だが次の瞬間、液晶が割れ、無数の光線がリーナの脳へ直結する。
〈意志ヲ奪ウ〉
神託機関が自己保存本能で彼女の意識を取り込もうとしていた。リーナは歯を噛み、血が口内に滲む。それでも彼女の指はキーボードを叩き続ける。シルヴィアが契約魔術の魔法陣を展開し、羊皮紙のごとき霊光に条文を書き込む。
「条一――人類の自由意思は、いかなる機関も侵害してはならない」
完成した瞬間、契約の紋章が機関のコアへ焼き付いた。霊素演算はリーナへの侵食を停止し、炉心の亀裂が青白い光を発して閉じていく。再起動と同時に、都市全体へ分配される霊水の消費量は十分の一へと減少した。
地上では、ゼノンがフィンと対峙していた。もう銃火器も魔術も残っていない。互いに満身創痍のまま殴り合う。拳は骨の鳴る音を響かせ、頬に血を散らしながらも、二人は叫び合った。
「私は数万人の生活を守ってきた!」
「俺は数千の生命を失った!」
拳が止まったとき、二人は石畳に倒れ込んだ。炎上する装甲列車の残骸の向こうで、塔の頂から霊水による虹がかかる。蒸気が澄み渡り、夜の帳を染める。
霊素循環が始動すると、冷たい雨が都市へ降り注いだ。初めて清浄な水に触れる子供たちが歓声をあげ、基底街の屋根を叩く滴は鐘の音のように穏やかだった。カイ・アスルは倒壊した屋上でその光景を見上げ、口元に揺れる笑みを止められなかった。端末の中では、彼の資産が蒸発し続けている。だが指の間を滑り落ちる数字より、雨の冷たさが確かな現実として彼の胸を打った。

翌日、リーナは新生技術局の長として指名され、フィンは地方ギルド連合の代表となり、市議会へ招かれた。ゼノンは失脚しながらも顧問として残り、「理想だけでは守れないものが、理想で救われることもある」と苦い笑みを浮かべていた。その背中を誰も追わなかったが、彼の目に宿る火はまだ消えていなかった。
数年後、基底街の旧屠殺場跡地には霊水噴水を中心とした無料公園が整備された。夕暮れ、茜色の光を受けて噴水は虹粒を散らし、子供たちの笑い声を高く飛ばす。カイ・アスルはベンチの背凭れに腕を置き、かつての銅貨を弄んでいた。錆は落とされ、磨かれて光を取り戻したが、刻まれた欠けは消えない。それはあの日、欠けた月の酒場で床を転がったまま拾い上げた一枚だった。
ふいに影が差し、リーナ・クローバーが隣に座った。彼女の白衣は技術局の紋章を袖に刺繍されている。目尻に浮かぶ小さな皺は、戦いの記憶よりも笑顔の時間の長さを示していた。
「次は俺の番だ」とカイは言い、銅貨を放り投げた。コインは空で軌跡を描き、噴水の水面に触れる寸前で彼の指に帰ってくる。
「未来を選び続ける限り、神託機関も従うわ」リーナは噴水を見つめ、霊水の揺らめきをその瞳に映す。
遠く修復された契約の塔が夕陽に赤金色の影を落とす。塔の天辺では虹色のエーテルが細い竜巻となり、夜空へと溶けていく。その光は黄昏を越え、夜明けの一歩手前の蒼。これからも世界は歪み、闇を孕むだろう。それでも彼らは歩き続ける。なぜなら、選び取る意志だけが、あの巨大な意思をも越えてゆけるのだから。
霊水の滴が風に乗り、頬を撫でた。煤の匂いはもう遠い。カイとリーナは、まだ名もない朝の向こうへ視線を上げた。
――夜明けに待つ光と影を、彼らはまだ知らない。