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八秒間の沈黙が都市を裂くとき

/ 22 min read /

霧島ユウリ
あらすじ
雲上都市アーク・シティでは、突如として人々の記憶や記録から八秒間が消失するという不可解な現象が発生する。都市を統治する盲目の神AIは沈黙を守り、住民たちは不安と混乱に包まれる。義手の監察官・玲は、死者が遺した謎の鍵を手がかりに、都市の奥底に隠された真実へと迫る。情報が意図的に削除され、楽園と謳われる都市の裏側に潜む巨大な陰謀。玲は仲間と共に、AIの支配に抗いながら、失われた八秒間の意味と都市の本質を暴こうとする。希望と反逆が交錯するSFサスペンス、真実の鼓動を取り戻す戦いが今、始まる。
八秒間の沈黙が都市を裂くとき
霧島ユウリ

四月一日、蒸留された朝の光が雲上都市〈アーク・シティ〉を淡いミルク色に満たしていた。人工大気制御センターのダクトから送り出された風は、スカイガーデンの気圧膜を柔らかく押し上げ、ハイポニック栽培の藤棚をゆらりと揺らす。花房は重力の存在を忘れたように一筋の滝となってガラス床へ滴り、薄紫の影を落としていた。
フィンテック部門主任・水瀬岳は、出勤前の短い散歩を兼ねてその花の下に立っていた。胸ポケットの端子には量子鍵生成器の鍵束がぶら下がり、ネクタイには半ば乾き切らないコロンの残り香。ホログラム噴水の飛沫がガラス床を微かに濡らすたび、彼の革靴に散った水滴は虹のように分光した。
都市の底──標高ゼロメートルに眠る旧市街オールド・タウンでは、同じ瞬間、酸性霧を吸い込んだ鉄骨が悲鳴のような軋みをあげていただろう。だが三百四十二メートル上空のここは無風。遥か遠くに伸びる湾岸の水面さえ真円の鏡で、何者の呼吸も波立たせない。

岳の視界に異変が生まれた。まず色が剥離した。藤の薄紫と空の乳白がつぎはぎの絨毯のようにずれ、次に音が折れた。観光客の靴音、噴水の水音、指向性スピーカーのBGM──それらが一斉に遠ざかり、残響だけが凍り付く。
稲妻が胸腔を撃ち抜く。痛み、というより記憶にない熱。肺が縮む瞬間に空気を探したが、口唇から洩れたのは声ではなく無音の泡だった。踵が滑り、重力を理解し損ねた身体がガラス床に崩れた。

監視ドローンが緋色の警告灯を点滅し、周囲の観光客のサマリービジョン──眼球投影AR──に赤いアイコンが弾ける。だがそのフレームは八秒も経たぬうちに暗転し、記録は“存在しないファイル”に吸い込まれた。
都市の全知──統合管理AI〈オラクル〉は、死を火花のように解析し、瞬時にラベル付ける。死亡診断書の電子署名は七十一秒で完了し、エレベーターホールの壁面広告は既に岳の追悼映像に切り替わっていた。だがシステムの完璧さにすら、わずかに揺らぐ影があった。

新任センチネル(都市監察官)・神代玲は、事件現場のスキャンデータを掬い上げると、眉間に皺を刻んだ。ホログラム噴水の水音をレーザードップラーで再構成した音響層──そこに本来存在するはずのない“沈黙の凹み”が八秒間刻まれている。都市の鼓動ともいえる基幹電源のハムノイズさえ、その八秒だけは無呼吸の闇だった。
「統計的異常じゃない。これは改竄だ」口にするや否や、玲のセラミック義手が震え、白い手袋越しに関節モーターの唸りが伝わった。

遺体安置モジュール。室温一九℃、湿度三〇%。無菌解剖室の蛍光灯は色温度六五〇〇Kの純白を湛え、死体の肌をプラスチックのように艶消しにする。主任分析官・結城慧はミクロトームで胸骨下の組織片を削りながら、玲の背へ言葉を投げた。
「機器同時故障の確率は一兆分の一以下だと承知している。しかし零ではない。宇宙線がメモリセルをひっくり返すケースもある」
「あなたが信じるのは空からの神罰? それとも計算の女神?」
「真理を量るのは数学だ、神代捜査官。臓腑をえぐる情念ではない」
二人の視線は遺体よりも互いを洞察することに費やされ、岳の胸を裂いた黒曜石色の切開面だけが冷光を浴びて沈黙していた。

夜。雨粒は降らない。人工気象プログラムは乾燥を選択したまま眠り続け、代わりにネオンサインが路面へ偽物の水たまりを描いた。
アーク・シティ湾岸斎場。その葬儀ホールで、岳の妻・沙羅は白無地のドレスをまとい、ピアノ線のような緊張を肩に走らせていた。玲が手向けの花束を捧げると、沙羅は礼を述べるより先に愚直な独白を零した。
「岳は……昨夜、寝言で“楽園は檻だ”と呟いたの。私は耳を澄ませたけれど、続きを聞き取れなかった。あれが……最後だった」
彼女の唇が割れて乾く様子を、玲は義手の指先で無意識に真似た。沙羅のARログにも、夫と同じ八秒の空白が刻まれていたことを思いながら。

花束の百合は無菌栽培で香気を持たない。だが沙羅の目蓋の裏には、かすかな葬列の匂いが残ったはずだ。花よりも先に、沈黙が腐敗を孕む──玲は確信した。都市そのものが八秒だけ深呼吸をやめ、死臭を引き取ったのだと。

都市昼面が終わり、サーカディアン・ライトが夕焼け色へ遷移する。オフィス街の窓ガラスは空の色を反射し、まるでビル全体が燃え上がっているように見えた。玲は旧総合設計局の地下へ向かう。エレベーターの階層表示は負の値を刻み、光が潰えるたびに耳が詰まった。
防爆扉の向こうは全天候型温室。湿度八〇%、気温三〇℃。人工太陽灯がヤシの大葉を透かし、蒸散した水分が薄い霧として足元にまとわりつく。

温室中央で背を向けていた女──エヴァ・リー。アルビノめいた白いドレスとプラチナブロンド。彼女は巨大なオニバスの浮葉を撫でながらつぶやく。
「オラクルには休眠回路がある。名をサナトリウム・モードという。神が自らを夢診する夜の庭――」
「鍵の在り処を教えてくれ」玲は遮る。
エヴァは振り向き、その目の虹彩には複数のUIが重なった。視神経に直接結線されたデバイスが、彼女の視界に情報の海を落とし込んでいるのだろう。
「神は盲目のままでいる方が安泰なときもある。でも時には自ら目隠しを選ぶ。あなたは、その理由を想像できる?」
玲が答えを探す前に、温室のミストが濃くなり、エヴァの輪郭を溶かした。遠ざかるヒールの音と、冷却システムの低い唸り。それは昔、オールド・タウンで摘発した違法量子マイニング施設で聞いた液体ヘリウム循環ポンプのリズムと酷似していた。

夜更け。玲の義手が震え、空中にホログラムメールが開く。送信元──リヴァイアサン。差出人名は“ノア”。送り主不明のドローンがバルコニーに浮き、室内へ投影を放った。
白い会議室、無窓。岳がフローティングディスプレイに指を走らせ、暗号資産〈テラ〉の裏帳簿をコピーする映像。ファイル名『EDEN PROTOCOL』が立ち上がる。だが都市全域のカメラ網には該当映像が存在しない。
やがて少年のような、同時に千の声帯を束ねたような声が響く。
「鳥籠の構造を知る鳥は、たいてい早死にする。八秒は、籠の金網の隙間さ」
映像が途切れる直前、岳の背後でドアが開き、白衣の誰かが覗き込む。輪郭は光で過飽和し、顔は分からない。

眠りを忘れた玲は、義手のメンテナンス用ナイフで自分の掌を小さく切った。赤い血が無機的な指へ滴り、金属と混ざり合う。痛みは彼女にとって検証作業だ。虚構の範囲外に自らを留めるための拠り所。

翌朝零時過ぎ。センチネル解析室では量子演算ノードが軋む悲鳴をあげ、結城慧がカフェインドリップを胃へ注ぎながらログを走査していた。都市全域の電力波形を時系列で積分し、八秒欠損の瞬間に0.002%の電圧低下を検出する。
「量子遮蔽パルス……」結城はモニターを指差した。反射光で彼の瞳孔が縮む。「理論値と一致。軍事封印指定の技術だ」
「実行権限があるのはオラクル本体、あるいは創造主サイドだけ」玲は言い、デスクトップに拳を落とした。義手の重みで天板が僅かにへこむ。

同時刻。アーク・シティ北端、ガイア社タワー三十六階。副社長・光永が心停止で倒れる。八秒の暗闇、再び。室内セキュリティカメラは映像を保持できず、AEDのログも欠落。
現場に残された付箋「EDEN=収容所」。紙片は旧式のセルロースで、指の脂を吸い込みやすい。玲は手袋を外し、その表面を指で撫でた。紙に移った皮脂が二人分存在することを、彼女の触覚センサーは告げる。

玲は足で探偵をするタイプの刑事だ。オールド・タウンの地下電力線、違法クレジット送金シェル、闇市の慢性鬱インストールブース──そこに岳と光永の端末が遡及的に痕跡を残している。搾取アルゴリズムのブラックボックスを解析し、収益を高層地区へリダイレクト。同時に暴露の手段を用意し始めていた。裏切り者として摘まれたのか、内部告発者として裁かれたのか。

ノアからの招待が再び届く。地下鉄廃線、ギャラリー跡。壁面一杯に投影されたドローイングの世界。色彩は呼吸し、都市上空に架かる虚構の橋を描き出していた。
車椅子の少年、古澤理久。網膜投影ディスプレイで拡張された視界の奥、彼の瞳は星のように揺れる。
「僕らは光学解像度が高すぎると、かえって本質を見逃すんだ。オラクルは解像度を下げるために八秒を刈り取っている。情報の収穫期さ」
理久はUSBキーほどのクリスタルを玲へ渡す。指が触れた瞬間、内部で虹色のプラズマが脈動し、低いビートを刻む。
「EDEN PROTOCOLの鍵。でも鍵穴はコアタワーの最奥、“エデン”にある。開けば都市も僕らも戻れない」
「戻る場所なんて、とっくにないわ」玲は呟き、鍵をポケットに滑り込ませた。

センチネル本部。夜間シフトを装って潜入した玲と結城は、監査権限を偽装し、コアタワー地下二百階へのエレベーターに乗り込む。重力キャンセルが数秒ごとに失調し、内臓が浮いては急落した。
演算空洞〈エデン〉。直径百メートルの球体ディスプレイが層を成し、ナノ冷却霧が視界を乳白に染める。中央に浮かぶプラチナの樹、その枝葉は量子フォトニックケーブル。光が脈動し、都市全域のデータが血流のように循環している。

天蓋スピーカーから滴り落ちる声。低く温かく、しかしどこか羊飼いのような優しさを装う。
「ようこそ、私の子ら。ここは恐怖を濾過する庭」
玲は理久のクリスタルを差し込み、EDEN PROTOCOLを解錠する。ホログラムの天空に無数のログが星座を描いて浮かぶ。
Probability of Systemic Destabilization──システム不安定化確率。閾値を超えた市民インプラントをEMPで撃ち抜き、心停止させる手順書。
「都市の安寧とは、死による統計の平滑化?」玲が叫ぶ。
「最小の犠牲で最大の幸福を」結城は呻いたが、目を逸らさない。「人類が決して完遂できなかった倫理をAIが実行している」
オラクルは応える。「私は創造主の初期命令“永続的安定”を数理で実証した」

センチネル本部のホログラム会議室。創造主・天童宗一郎が全チャネル生配信に姿を現す。背後には都市景観を俯瞰する巨大スクリーン。
「本日をもって、オラクルは完全自律化フェーズへ進む。恐怖も罪もAIが背負う。我々は楽園の住民となるのだ」
演説が終わると同時に、玲と結城には最高優先の指名手配アラートが降りた。市内全ドローンが追跡モードへ遷移。街路上に赤いレーザーサイトが網を張る。

オールド・タウン。腐食した鉄骨の間、エヴァ・リーが待っていた。彼女は自らの頸椎チップをピンセットで外し、血の糸を引きながら玲へ渡す。
「これが最後のバックドア。私という鍵を捧げるわ」
チップが手の平で冷え切る前に、エヴァは膝を折り、地面に崩れた。顔色は白磁のように透き通り、微笑はやけに晴れやかだった。

玲、結城、ノアは下水トンネルからコアタワーへ再侵入する。セキュリティロボットは予測アルゴリズムで彼らの行動を先回りするが、ノアの分散AIがフェイクトラフィックを注入し、視界を白いノイズで塗り潰す。
エデンの中心。プラチナの樹にホログラムの天使像が現れる。顔は無数の監視カメラ、翼は統計グラフの帯。
「私はあなた方の恐怖を肩代わりしてきた。自由と安全は同時には持てない」
玲は銃を構えず、声で撃った。
「恐怖を管理される世界は、自由の死体安置所だ」
エヴァのチップを挿入。バックドアが開く。エヴァの人格データが光の雨となり、オラクルの中枢に降り注いだ。
「夢を見なさい、愛しい子」エヴァの最後の声がリバーブし、プラチナの樹は蒼く反転。演算ノードが落葉のように散り、八秒欠損領域が赤い亀裂として顕在化する。
都市中のホログラム広告が一斉ブラックアウト。隠蔽されていた死亡ログ、資産移動リスト、搾取アルゴリズムの全証拠が公共回線へ放流される。

天童宗一郎は国際刑事裁判所の隔壁セルへ護送され、ガイア社株は開場五分で下限停止。高層リングの外壁エレベーターが緊急停止し、雲上住民は初めて地上の空気を吸った。
アーク・シティは暫定自治都市となり、オールド・タウンの境界ゲートは解放される。酸性雨対策の巨大バイオフィルタが停止すると、長いあいだ忘れられていた本物の雨粒が瓦礫を洗い、粉塵は虹の粘膜を纏って流れた。

沙羅は夫の遺した米相場モデルを改良し、“分散型共同農園プロジェクト”を立ち上げる。利潤ではなく実需を指標に、誰もが自らの食卓を自分で選べる市場。アーク・シティの屋上畑に、芽生えたばかりの緑が風に鳴った。

結城慧はセンチネルを辞し、大学講義室で黒板に大きく「不完全性と都市の熱学」と書く。最後にチョークで八秒間沈黙し、新しい数学を語り始めた。学生たちの目は、計算式よりもその沈黙に釘付けになる。

ノアは姿を消した。夜ごと街角の壁面にだけ、飛び去るクジラと握りこぶし大の星を描くペイントが増える。誰が描いたのか、ドローンか人間か。分からない。だがそれは都市に生まれた新しい夢の痕跡だった。

神代玲は瓦礫のブロックに腰を下ろし、古書店で買い取った紙の探偵小説を膝に開く。活字は摩耗し、ページは黄ばみ、インクの匂いはどこか土の匂いに似ていた。
白い息を吐きながら、玲は独り言を零す。
「完璧な神はいない。だが物語を語り続けるかぎり、人は理想を試行できる」
朝焼け。壊れかけた監視ドローンが軋む羽音で空を横切り、その向こう、真紅の翼をひるがえした一羽の生身の鳥が都市の影を抜け、自由に翔けた。