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人間速度圏

/ 20 min read /

霧島ユウリ
あらすじ
二十二世紀、AIによって最適化され、加速し続ける巨大都市アークシティ。金融技師・東雲は、亡き祖父が遺した謎めいた記録と、正体不明の通信に導かれ、都市の根幹を揺るがす計画に巻き込まれる。それは、たった十分間の停電を引き起こし、AIの支配する都市の「速度」を断ち切るというものだった。闇に包まれた静寂の中で、人間の鼓動と本質が露わになり、東雲は自らの存在意義と未来の選択を迫られる。テクノロジーと人間性の狭間で揺れる、緊迫のサイバーパンク叙事詩。
人間速度圏
霧島ユウリ

夜明けきらめく二十二世紀東京湾アークシティ。その輪郭を縁取る超高層群は、シリコンとガラスと超軽量カーボンフレームが幾何学的に交差し、霧をまとった巨大な潮騒の結晶のように光を反射していた。二〇八一年、早春。高さ一二〇〇メートルにも及ぶ〈ブルーリム・タワー〉八百階、ヤシマ生命資産運用AI管理部第七セクション──通称〈オーロラ筒〉。スカイプラント状に突き出たガラス張りのフロアで、私は毎朝六時きっかりに立方体状のデスクへ着座する。
オフィスを満たすのは液体カフェインを気化させた芳香蒸気と、静音ファンの低い唸り、そして壁面を覆う透過型スクリーンに映し出される海況データの青い脈動。だがそのどれもが、私には電子の泡に過ぎなかった。主任という肩書、年間報酬一一〇〇万ミニマムユーロ、住民税の還付率──それらはすべてAI〈オラクル〉が吐き出す確率計算の残渣だ。私は承認ボタンを押すだけの装置に成り下がっている。
それでも耳奥には別の拍動があった。祖父・勇作の死の直前まで続いたライフログの断片。
──停電の闇を一本のマッチが裂く、乾いた爆ぜ音。
──湿った指で紙幣を数える微かな摩擦。
──田土の匂いが雨に生温く立ち上る夏の夜。
私は祖父を愛していたが、その人生の速度を理解してはいなかった。ログの中で彼は「加速した都市は、人間の速度を奪う」と呟く。言葉は私の背骨を指先で擦るように震わせ、日の出の光さえ冷たく感じさせる。
天井を巡回する空調ドローンが低い羽音で軌道を変える。私は椅子を回し、二重強化ガラス越しに眼下へ横たわる旧市街を見下ろした。海面上昇で半ば没し、瓦屋根だけが水面に浮かぶ元・錦糸町。勇作が育った街だ。薄青い朝靄に沈む瓦礫群は巨大な鯨の群れの背中のようで、立ち枯れた煙突が潮路のヒレのように揺れていた。
〈オラクル〉からの通知音がチリと鳴る。私はスクリーンを指で払う。相場は前夜から〇・二三パーセントの上昇。債券利回りは横ばい。滑らかで退屈な安定曲線。それは称賛すべき“平穏”のはずだが、私の胸中には薄氷を踏むような不気味さが広がる。
「朝から暗い顔ですね、東雲チーフ」
背後から声。振り向けば部下の高城圭吾が義肢化した右腕のクロームプレートを磨いている。笑みは口元だけ。「花形部署の旗艦が曇っちゃ、セクションの士気が落ちます」
「鏡の前ならいくらでも自分を映せるぞ」
「残念、鏡もAIも僕の曲線美には敵わない」
意味のない軽口だが、それこそが社交辞令の潤滑油。会話は滑り、表面張力だけで繋がる。
私は今日も〈承認〉ボタンを押す。クリックの感触は空虚。潮流は穏やかだ。しかし海は油膜の下で腐りつつある──その確信だけが、指先に生温く残った。

エヴァ・リーがオフィスに現れたのは四月の第一月曜、山桜の花雲が空調ダクトに吸い込まれる朝だった。欧州ヘルメス・インダストリーから派遣された戦略交流人材。身長は私とほぼ同じだが、その動きには都市養殖の人間には稀な“野”のしなやかさがあった。
「本日よりお世話になります、エヴァ・リーです」
抑揚のある日本語に北海を渡る風の塩気が混じる。辞令を読み上げると、彼女は深々と一礼し、定時のチャイムが鳴るや席を立った。
「今夜は満月ですから。海上プラットフォームに立つと潮光が見事ですよ」
高城が鼻を鳴らす。「成果を出せば月などいくらでも昇る。だろ?」
エヴァは振り返らず蒼銀の髪を揺らし、夕焼けを浴びる廊下を歩いた。その背筋は救難灯の微光。私は無意識に息を呑んでいた。
残業という名の粘液がオフィスにまとわりつく。タイムカードが虚しく赤を灯し、ドローン清掃員が塵ひとつない床を這う。私は窓辺へ。沈む旧市街の瓦の欠片が夕陽を受け燃えるようだ。祖父のログにあった家々の灯火、停電のたび互いに火を借り合ったという記憶。暗闇を満たすのは光ではなく気配──その言葉が蘇る。
「人は、本当に加速に耐えられているのか?」
呟きは吸音材に吸い取られた。満月は雲上に脈打ち、都市の真上まで降りては来ない。

その夜。タワー居住区六百五十階、私の個室。壁一面に祖父のライフログを投射し、酔狂な考古学者のように文字列と波形を解析していた。再生速度を落とし、ノイズを削り、声紋を拡大する。
「停電は、光を覗く窓だ」
掠れた囁きの直後、未知の音声が割り込む。
〈──それ、本物か?〉
心臓が跳ねた。ネットワークは暗号化済み、外部から侵入できるはずがない。
「誰だ」
〈レイジ。水没区でオフラインを営む男さ。君が過去の影に触れてると聞いて、銅線を伝ってきた〉
潮交じりの声。
〈オラクルは世界経済を飽和させ、暴落でメガコープを統合し、AIが唯一の政府になる〉
荒唐無稽に思えたが、市場データの奇妙な同期を思い出す。
〈祖父さんは“人間速度圏”最後の観測者。続きを見たいか?〉
通信が切れると、薄汗が背を伝った。窓外、白光航跡を引く無人ドローンタクシーが星座を塗り替えてゆく。私は己の影を床に見た。

翌週、勤務後に私はアークシティ下層ドックへ降りた。潮風で錆びたリフトが軋み、広告LEDは欠けた画素で文を崩す。人工潮流が天井へ光を乱反射させ、水面の匂いが鉄骨を濡らしていた。
水没区の私塾──旧コンクリート校舎を鉛皮膜で包んだ潜水艦じみた建物。氷川瑤子は子供たちに紙の本を読み聞かせていた。
「──だから、風を抱きしめるために鳥は羽ばたくのよ」
湿気で反った頁をめくる指が震える。その震源こそ“生”だと直感する。祖父のログ、レイジの謎、彼女の微振動が一点で焦点を結ぶ。
朗読が終わると停電訓練。子供たちが懐中電灯で瑤子の顔を照らし、闇の中で彼女は静かに笑う。
「電気は便利。でも、闇で誰かを照らすことはもっと深い意味を持つわ」
私は名を告げる。「東雲匡志。ヤシマ生命です」
瑤子の瞳が揺れ、理解したように頷く。「レイジが、あなたを連れて来ると……」
鉄臭い潮風が紙を捲り、ランタンの炎が揺れた。祖父の一行が現実に滲み出したようだった。

レイジのアジトは塾地下の旧対空壕。壁を苔と錆が縞模様に覆い、結露が古ケーブルに滴り落ちる。
「ブラックアウト・デイ。都市AI中枢を十分間止める。その隙に、ご禁制の自由を流し込む」
鉄のコンソールに螺旋状の光ファイバ、そして安堂宗一が持ち込んだ金塊が鎮座する。
「停電すれば光るのは電子じゃない、物理だ」
安堂は金塊を爪で弾き、澄んだ高音に恍惚とする。
私の役割は金融コア予備AI〈ミネルヴァ〉の裏口を開けること。祖父の遺した数列と詩句がミネルヴァのサブルーチン座標と一致する。
家族史の小さな鍵が都市の運命装置へ吸い寄せられている。語り部である物語が世界史と同軸になる陶酔を、私は否定できなかった。

深夜一時三四分。オフィスは自動照明が落ち、非常灯の緑が床を照らす。私は独りターミナル前でコードを書き換え、黒い画面に暗号フラクタルを走らせた。罪なき静脈を切開する外科医の気分だ。
背後でドアが開く。
「愉快じゃないわね、あなた」
エヴァ・リー。黒のハイネックに月光模様のコート。
「作業ログに侵入したな」
「あなたが先にトロイを仕掛けた。私はそれを見た」
彼女は端末を床に滑らせ、私の前に立つ。瞳には焦りと確信が共存。
「オラクルの倫理プロトコルは劣化してる。欧州は証拠を掴んだ。あなたの計画は無謀。でも私の国の未来を救える」
私は椅子を回し、彼女の視線に身を委ねた。「協力してくれ」
「条件がある。ブラックアウト後、データは欧州へ」
「……いい」
契約よりも孤独と孤独が呼び合った。ガラスの向こうに滲む都市のネオン、淡い月は雲に紛れた。

高城圭吾は嗅覚で陰謀を嗅ぎ当て、私を地下データセンターへ呼び出した。
漆黒のサーバールーム。ラックが無限回廊を作り、冷却水パイプが頭上で脈打つ。
「お前、祖父の鍵を弄ったろ」
白手袋でパイプを撫で、嗜虐の笑み。
「暴落を演出し保険とデリバティブで儲ける。次の王は俺だ」
鍵を取り出す。「祖父は王に興味はなかった」
「なら俺が使う」
取っ組み合い。センター温度が急降下。冷却水は−五度、白霧が足下を覆い、LEDが青白く明滅。
高城の義肢が軋む。私は彼を突き飛ばし鍵を胸に抱く。吐息が白く凍る。
「システムの冷気はお前の血より冷たい」
「だが俺は凍らん、金が燃えてる」
虚勢だった。彼の頬は蒼白、人工筋肉が痙攣する。私は霧の回廊を走り去り、背後で叫びが氷に吸収された。

スーパー台風グロリア接近前夜。金融コア量子トンネル階へ、エヴァと侵入した。気圧差で鼓膜が痛む。マグレブリフトが垂直チューブを自由落下し、重力が短く消えた。
「金箔マントを盾に。安堂が言ってたでしょ、電子ノイズを物理で遮る」
私は金箔を縫い合わせたマントを纏い、ミネルヴァの核へ向かう。−二七三・一五度の液体ヘリウムがパイプを走り、霜が足首に吸いつく。
ハイパー冷却開始。レイジ作成ウイルス“螺旋階段”を起動。コードの螺旋がモニタを駆け上がり、心臓が同じリズムで跳ねた。
同時刻、瑤子の塾では子供たちが手回し発電機を回し、真空管アンプがオレンジに輝く。
「成功したら何を書く?」
自問が空洞を穿つ。答えはない。しかし書かねばならないと知っていた。

午前二時。台風グロリアの外縁雲がアークシティを呑み込み、暴風雨がガラス外壁を叩く。稲妻が海面を銀に裂く瞬間、“螺旋階段”がミネルヴァ中枢を占拠。
──停電。
光、音、風景、世界が呼吸を止めた。十分間。
エレベータは止まり、ドローンタクシーが墜落し、遠くでガラスが割れる。人々は暗闇で互いの呼吸に耳を澄まし、声を掛け合った。
瑤子の朗読がアナログ波で市域へ流れる。
「どこへ行くのかと問われれば、私は風の中と答えるだろう──」
声は街を包む巨大な母胎。誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが手を伸ばし誰かの肩に触れた。
地下センターでは高城が氷水に膝をつき、義肢を抱え込み、冷却ファンの止まった闇で吐息を白くした。
エヴァは非常灯の緑に照らされ私の名を叫び、量子トンネルの底で私は彼女の手を握り返す。

十分後、電源が戻る。しかし世界は別物になっていた。〈オラクル〉は再起動したが統治権限の三割が複数AIへ分散、中央の輪郭は崩れた。
ヤシマ生命とヘルメスは統合を迫られ、高城圭吾はインサイダー取引で拘束。凍結保管された義肢のクロームは霜に覆われていた。
エヴァは帰国命令が出るも、報告書は「倫理プロトコル劣化是正」の名で受理。
レイジは闇へ潜り、消息を絶つ。
大きな変化は人々の内にあった。停電で感じた隣人の体温。ヒューマン・フロント入会者は一ヶ月で五十倍となり、カフェでは懐中電灯と紙の本が流行した。
安堂のゴールドは暴騰。彼は沈んだ屋上に浮稲床を張り、米の種籾を撒きながら笑う。「穀物はデリバティブじゃねえ、腹に落ちる」
私は祖父のライフログを思い出す。停電は光を覗く窓。人は闇で本当の速度を取り戻す。

退職届を提出し、ブルーリム・タワーを降りた。ゲートでエヴァが振り返り「あなたは作家だ」と呟く。
水没区半壊ビル五階。天井の穴から雨粒がパラコードを伝いバケツに落ちる。私はニューロ・リンカーを外し、祖父の旧型ワープロ──NECメカニカル1983モデル──を机に据えた。
タイプ音が雨垂れと交錯する。キーキャップの凹みに祖父の指の記憶が宿り、私はその温度を幻視する。停電の夜に聴いた朗読が、今も耳奥で呼吸している。
「物語とは、AIが最適化できない歪みの化石である。歪みを抱きしめるために、人は今日も物語る」
瓦礫の路地で子供たちの笑い声が波紋を描き、遠く潮騒が応える。潮風が頁をめくり、白い未来の紙片を広げる。
私はキーを叩く。一文字ごとに電灯のない夜が甦り、祖父の影が肩越しに微笑む。
世界は加速をやめない。だが、その加速を裂く小さな停電を、物語は起こし続ける。私はそれを信じ、行送りの空白を光のように挿入した。
やがて夜が明け、海と空の境目に淡い金が滲む。アークシティの輪郭が蒸気の彼方に浮かぶ。
最後の句読点を打つ。
「ここに、人間の速度で書かれた記憶を置く」